コラム&メッセージ
COLUMN 2026.09.17
田中れいかさん
1995年、東京都生まれ。7歳から18歳までの11年間、児童養護施設で暮らす。退所後は短期大学へ進学し、その後モデルとして活動。現在は、こどもや若い世代を支えるための情報発信や講演活動などに取り組んでいる。
生い立ちは変えられないけれど居場所は選べる
児童養護施設は「いなきゃいけない場所」だった
私は7歳の時、両親のDVをきっかけに児童相談所に一時保護され、いわゆる社会的養護っていう世界に入ることになりました。
職員は職員っていう、仕事で来ている、そういう存在でしたね。
施設に入ってからも、そこが自分が助けてもらった「居場所」っていうよりは、いなきゃいけない場所、そこしかない、みたいな考えがあったので。
あまり、そこを安心できる居場所だとは思えなかったかなと思います。
高校生になって感じた「ここしかない」
中学生の時は、友達とか友達のお母さんとかが「福音寮(※1)」の子だよね」っていうのを知っててくれたので、自分から「施設にいる」って開示しなくても、みんなに自然と知られていました。
※1…東京都世田谷区にある児童養護施設
「言いたいけど言えない」とかはあまり感じなかったですね。
高校生になるとその地域を離れた学校に通うことになったので、
どのタイミングで自分が施設にいるのかを打ち明けるのかは、結構悩みました。
例えば私の施設だと、高校生になると毎日お弁当を自分で作るんですね。
そうすると友達が、「え? なんでれいか、いつも自分で作ってんの?」みたいになって。
その時に、「親が放任主義で、自分で作らなきゃいけないんだよね」みたいな、やんわりした嘘をつき続けて。
それが、だんだん苦しくなってくるんですよね。
門限も、当時17時45分と早かったので、それ以上遊べない。
そうなった時に初めて友達に、「実は施設にいて、門限を超えて遊べないんだよね」みたいな感じで話しました。
年齢が上がるにつれて、「あ、私にはここしかいられる場所がないんだ」っていう悲しい気持ちに、だんだん気づいてきちゃって。
家族の事情も、高校生になるとなんとなく分かりますし、だんだん分かってくればくるほど、「ここしかないんだ」っていうのは高校生の時に感じました。
施設を出て、初めて感じた友達との違い
私が施設から進学を目指した当時は、施設出身者向けの奨学金だけでは足りなくて、借金をして進学しました。
仲良くなってくるとグループができるじゃないですか。
その時に、私を含めて4人のグループができて。その中に上京してきている友達がいました。
話を聞いていると、親御さんにすごく可愛がられて育てられている子みたいで。
お昼の時間、空き教室でご飯を食べている時に、その子が「親から今月5万円仕送りをもらったんだよね。これでどっか遊びに行こうよ」とか。
「誕生日は親が東京に来てお祝いしてくれるんだよね」とか、「年末年始は長野に帰省するんだ」とか。
その子にとっては事実であって、当たり前のことなんだけど、全部、私にはないものだったんですね。
施設にいる時は、友達と自分の差ってあんまり感じたことがなかったんですけど、私の場合は施設を出てから「明らかに違う」っていうのを感じて、疎外感を覚えました。
施設を退所した後は、「施設にいた時にできなかったことをやろう」みたいな、“退所後のハイ”みたいなのがあって。
門限があったら、それより遅い時間まで遊ぶとか、終電で帰るとか、映画館でレイトショーを見るとか。
そういうハイの時期が一通りあって、だんだん経験して満足してくると、落ち着くんですね。
そのハイが落ち着いていった時に、私は初めて寂しい気持ちになりました。
帰ってきても、もちろん誰もいないですし、長期休みが来ても帰れる家がないですし、誕生日も祝ってくれる人がいなかったので。
寂しさも根底にはあると思うんですけど、どこかで「分かってほしい」っていう気持ちと、「いや、誰にも分かってほしくない」っていう気持ちが、すごく入り交じって。
本当に当時の私は、一匹狼でした。
学校にも居場所がなくなった
学校でも仲のいい友達のグループはありましたけど、途中から、そのコミュニティにいると自分にないものが目についてつらくなるんですよね。
一緒にいるのもしんどい。場の空気に合わせるのもしんどい。
急にその輪から抜けて一人でお弁当を食べたり、自然と学校をサボるようになって距離を取るようになりましたね。
そうした友達関係の中で、学校にも居場所がなくなったわけですね。
単位ギリギリまで学校をサボっていたら先生に呼び出されて、「あなたは留年です」って言われました。
そうすると留年分の学費も、また自分で払わないといけないので。
その現実が降りかかってきた時に、「もういいや」って。
バイトさえしていれば生きていけるから、別に学校なんてもういいかなって思っていました。
全部切っていく。友達も切る。将来の道も、別にいい。
一匹狼なんで、そんな感じでどんどん切っていって。
それで、お父さんに電話したんですね。
「学校辞めそう」「留年決まっちゃった」みたいに言ったら、お父さんが、
「今のれいかがいるのは、施設にいた先生たちが奨学金をいっぱい調べてくれたり、お家探しを一緒にしてくれたり、受験も応援してくれたり、そういう人の存在があって今のれいかがいるから、絶対にそれを裏切っちゃダメだ」
って怒られました。
怒られるだろうなと思って電話したので、覚悟はしてたんですけど。
電話を切った後、「お父さんの言うことも分かるな」と。
なぜかその話を聞いた時に、「当時の自分の選択を今の自分が裏切ったら、自分の味方って誰もいなくなっちゃうな」って思ったんですね。
なので、自分だけは自分との約束をちゃんと守ってあげようと思って。
留年した半年分の学費を自分で払って、1年生に交じって授業にも出て。
授業中に寝ていることもあったんですけど。
それでもなんとか、自分のために踏ん張ろうということで、卒業できました。
まず、自分との信頼関係を作る
これは施設の子たちにもよく言うんですけど、「自分との信頼関係を作ろうね」っていうのを話しています。
居場所って、他者に求めちゃってるんですね。
なので、期待しちゃうところがあるんですよ。
何かしてくれて当たり前とか、褒めてもらえて当たり前とか、ご飯を出してくれて当たり前とか。
でも私は、他人に期待することで、それが自分が思っていたものじゃなかった時のショックの大きさを知ってるので。
そっちにばっかり求めるんじゃなくて、まず自分との信頼関係。
ちっちゃくていいんですよ。
「今日、まず仕事に行こう」とか、「じゃあ帰ってきたら、ご褒美のアイスを食べよう」とか。
それって、自分との約束を守るってことじゃないですか。
その延長線上で、「私はモデルになる。そのためにウォーキングレッスンに行こう」「レッスン行けた、自分偉いね」「SNSちゃんと投稿しよう」とか。
そういう自分との信頼関係を育んでいくと、自然と周りに期待するんじゃなくて、「全部自分次第」みたいな境地になっていくので。
もちろん選択肢があることは大事ですし、制度やサービスがあることも大事ですが、自分との信頼関係があれば「居場所がない」って思っていても、大丈夫と思えます。
私にとっての居場所は「ノート」
今ちょっと流行っているジャーナリング(※2)ってあるじゃないですか。自分の感情を書き出す。
※2…頭に浮かんだ思考や感情をそのまま紙に書き出し、心の整理やストレス軽減、自己理解の向上を促す「書く瞑想」と呼ばれる習慣のこと
私は18歳、19歳、20歳の頃、すごくよくやっていて。
無印の無地のノートに、いっぱい嫌な気持ちを書くんです。
「なんであの子はお金もらえるんだよ」とか、「なんでうちの親は仕送りしねえんだよ」とか。
口悪いことでもいいんですけど、とりあえず書きまくって、書きまくって。「はぁ……」みたいな。
あと、ぐしゃぐしゃに書いたりとか。
そんな感じで、自分が思っていることをまず自分が見たり、受容したり、承認したりっていうのを繰り返してましたね。
私にとって、居場所はそのノートです。
自分の気持ちを吐き出すノートが居場所。
このノートの中に書いたものの中で、「この話はAさんにできる」って思ったらAさんに話します。
「これはBさんだ」って思ったらBさんに話す。
私はそういうふうに整理して、分解して相談するタイプなので。
いきなり誰かのところへ行って相談するんじゃなくて、事前準備みたいな感じで、ノートは相棒にしてますね。
「Reframe your life story」――自分の生い立ちを捉え直す
「Reframe your life story」という言葉があります。
“自分の生い立ちを編集し直す”、捉え直す、みたいな意味で。
例えば私が18歳、19歳で施設を出て、借金をして学校に行っていた時は、
「自分が施設にいたからこんなに借金をして、友達にはあるのに自分にはないものばっかりで、この先の人生は真っ暗だ」みたいに思っていました。
でも今は、「そうじゃなかった」と思える自分になれているので。
いつ、どのタイミングかは分からないんですけれども、一人ひとり、誰にでも「Reframe your life story」するきっかけは人生に起きてくると、私は信じています。
そういった意味で、「みんなも自分の人生をReframeしていけるよ」という思いを込めています。
今でこそ私は、こうしたネガティブなことをポジティブに捉え直すことができていますけど、やっぱりそれがどうしても難しい時期もあると思います。
それが本当に心理的につらい時、またはとにかく苦しい場合には、やっぱり適切な相談機関にアクセスしてほしいなって思います。
実は私も、今でも精神科に通ってます。
そうは見えないですよね。
やっぱり、自分の傷もありながら、どう社会とつながっていくかっていうのは、自分の中で考えていくしかないですし、自分の中にしか答えはないので。
そういったつらい部分があったとしても、自分がどう社会とつながっていきたいかを選んでいける。
嫌な気持ちはノートに書きなぐるとか。
そういったことを通して、少しでも毎日の中で「いい感じの日」をたくさん増やしてもらえたら嬉しいなというふうに思います。
「何かあったら」ではなく、「いつでも連絡して」
私が活動していてハッとしたのは、ある当事者の子のXの投稿だったんですけど。
「『何かあったら連絡してね』は、何かないと連絡しちゃいけないんだって思うから嫌だった」っていうのがあって。
大人って言っちゃうじゃないですか。「何かあったら連絡してね」って。
その子は、「何もなくてもいいから、『いつでも連絡ちょうだい』っていうふうにしてほしい」と投稿していました。それを読んで、「確かにそうだな」と思いました。
理由とか、いらないじゃないですか。そこに行くとか、話すっていうことだけでもいい。
そういう気持ちを持っている居場所の人とか、施設の先生とかが増えるといいなとは思いますね。
「つながり直す」機会があってほしい
一定程度、「支援嫌い」の時期があると思っていて。
支援を受けることが嫌な時期が私にもあったので、他の子に聞いてみると、「そういう時期があった」と。
でも、どこかでまたいろいろ外的な要因とか、内面の変化があって、またつながり直したくなったりする時が来るんですよ。
施設であったり、その居場所の人であったり。
そうなった時に、例えば私がある日突然、施設に帰ったとします。
その時に、「なんで来たの?」ではなく、「おかえり」みたいな。
そう言ってくれる居場所のスタッフや施設の職員がいるかどうかですよね。
だから私は、つながり直す機会もあってほしいなって思ってますね。
